教皇フランシスコとロザリオの祈り ーカトリック枚方教会信徒 M.K- 河北朝祷会より(2016.10.12 第193回)

エレミヤ書1章5節・10節『私はあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。』『見よ、今日、あなたに諸国民、諸国王に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊しあるいは建て、植えるために。』

ご存知のようにフランシスコパパ様は教皇就任されてから、毎日のように世界の新聞を賑わしておられます。あのような行動の力はどこから頂かれるのでしょうか。 “教皇フランシスコとロザリオの祈り ーカトリック枚方教会信徒 M.K- 河北朝祷会より(2016.10.12 第193回)” の続きを読む

愛に燃えている人 アントニオ・フラデラ神父

フラデラ神父

今月の24日はアントニオ・マリア・クラレットのお祝い日です。10月はまたロザリオの聖母の月でもありますから、マリアの汚れなきみ心の子であるクラレチアンのメンバーとして、 真の宣教者の姿をクラレットの霊性のうちに眺めてみることにしましょう。

そこでまずクラレットの著作が使われている読書課の第二朗読に美しくまとめられていることを発見しましたのでご紹介したいと思います。「キリストの愛がわたしたちを駆り立てている(2コリント5・14)という使徒パウロの言葉のとおり、 聖霊の火に駆られて、聖なる使徒たちは全世界を駆け巡り、同じ火に燃えて宣教者たちも神のことばを地の果てまで告げ知らせています。 “愛に燃えている人 アントニオ・フラデラ神父” の続きを読む

この病は死に至らず ー日本基督教団 森小路教会 牧師ー 河北朝祷会より(2016.9.18 第192回)

エルサレムからそれほど遠くないところにベタニアという村があり、そこにマルタ、マリア、ラザロという兄弟姉妹がいました。イエス様は彼らととても親しくしておられたようです。マルタとマリアについては、ルカによる福音でもその性格の違いが記されているところがあります。

行動的、積極的なマルタに対して、静かで話を聞くのが好きなマリアはここでも対比されています。今、この姉妹は兄弟ラザロが重い病気になったので、イエス様に来てほしかったのです。そこで人をイエス様のもとに遣わしました。おそらく彼女たち自身が行くよりも、早く伝えられると思ったからでしょう。それほど早く来てほしかったのです。 “この病は死に至らず ー日本基督教団 森小路教会 牧師ー 河北朝祷会より(2016.9.18 第192回)” の続きを読む

天国の預金通帳   長崎 壮神父

長崎神父写真

高校の卒業を翌年に控えた春、プロテスタントの教団を母体とする私の母校の敷地に新しい礼拝堂が完成しました。その礼拝堂の立派な外壁の上部に何やらギリシア文字が書かれていて、 落成祝いの式典の中でそのギリシア文字で書かれた言葉が「宝を天に積みなさい」と言う聖句であることを知りました。

先ごろ日曜日のミサの福音がたまたまこのみことばに当たっていたので、 説教の準備をしながらあらためてこの聖句のこと、高校時代のことを思い出していました。 “天国の預金通帳   長崎 壮神父” の続きを読む

教会はみなさんのもの 主任司祭 ハイメ・シスネロス

ハイメ神父写真

第二バチカン公会議は、教会を「キリストの体」と呼んで、教会は「秘跡」であり、「神の民」だと述べました。「神の民」という呼び方の人気の理由は二つあります。

一つは18世紀から西洋の世界に生じて来た民衆的な価値観に一致していること。もう一つは聖書の中で、イスラエルを「神の民」と呼び、教会は「新しい神の民」だというイメージです。その他に新約聖書では、「神殿」と「キリストの体」という教会のイメージが挙げられています。 “教会はみなさんのもの 主任司祭 ハイメ・シスネロス” の続きを読む

私たちはイエスの弟子でありその派遣に忠実でありたい ー主任司祭ハイメ・シスネロスー 河北朝祷会より(2016.7.14 第191回)

ハイメ神父写真

今日の聖句はマルコ3・13~15です。山に登るイエス、山は神と出会える場所。イエスの祈る姿を現しています。イエスは御父と相談し、12人を使徒として選びました。聖書のほかの個所では72人の弟子が派遣されたとあります。ガリラヤからイエスに従った人々が多かったこと、そのなかに婦人たちもいたことは明きらかです。

私は12歳のころ小神学校に入りカトリック司祭を目指しました。毎日ミサに与り、旧約・新約聖書に触れ、特に福音を読んだときはイエス様の存在を強く感じ、イエスの弟子になる準備が進むという恵みを得ました。信仰のイメージを聖書から得ました。それはアブラハムの神に対する信頼と旅をするイメージであり、モーゼに学んだことは解放を目指す霊性、その霊性による多くの障害や囚われから自由になる過程、サムエルからは主の呼びかけを聴くこと、詩篇からは様々な祈りに触れる精神が欠かせないこと等です。 “私たちはイエスの弟子でありその派遣に忠実でありたい ー主任司祭ハイメ・シスネロスー 河北朝祷会より(2016.7.14 第191回)” の続きを読む

主イエス・キリストの恵み、神の聖霊の交わりが 皆さんとともに   アントニオ フラデラ神父 

フラデラ神父

新年度、名古屋地区から転入してきた、クラレチアン宣教会の最古老、フラデラ神父です。表題のこの挨拶以上の挨拶はないと思いますから、皆様への心からの祈りとご挨拶にしたいと思います。

皆さんの幸せと健康、各位のいのりと願いの上に神様の豊かな祝福がありますようにと心を込めて祈ります。今からほぼ半世紀前の1970年、日本管区に派遣された私の最初の赴任地が枚方教会でしたので、私にとって当教会は、長い旅路の夕暮れに、やっとなつかしい実家に帰ったような気がしています。 “主イエス・キリストの恵み、神の聖霊の交わりが 皆さんとともに   アントニオ フラデラ神父 ” の続きを読む

「静 か に」 ー関西学院大学神学研究科前期課程在学生ー 河北朝祷会より(2016.6.9 第190回)

聖書で鍵となる物語、出エジプト記からメッセージを分かち合いましょう。神さまが契約を結んだアブラハムの子孫であるヨセフは兄たちの嫉妬からエジプトに売られました。後にイスラエルの民は400年以上にわたりエジプトで奴隷として働きます。

大国エジプトからどうやって逃げ出し、自由の身になれるでしょう。神さまは、燃える柴の間から、モーセに言われます。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」。モーセの幾度もの交渉はファラオに聞き入れられず、神さまは様々な災いをエジプトに送られました。 “「静 か に」 ー関西学院大学神学研究科前期課程在学生ー 河北朝祷会より(2016.6.9 第190回)” の続きを読む

聖霊に後押しされて  長崎 壮神父

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復活祭で長い準備期間を経た新受洗者を教会に迎え、ひと段落ついたと思っていると、不思議なことに初めて教会を訪れる人がひとりまたひとりと来られます。その人たちを見るとその人たちだけでなく、迎える側の私たちにも聖霊の後押しのような不思議な働きを感じずにはいられません。枚方教会の共同体を通じて、イエス・キリストに出会うように招かれた人たちを毎年、 毎年送ってくださる神様に感謝しつつお迎えしたいと思います。

ところで、私たちの信仰というものは人から人へと伝えられていくものです。確かに入門講座を担当するのは多くの場合は司祭ですが、自分自身のことを思い出してあらためて気づくことは、 一人の人が洗礼を受けるに至るまでには何人もの人が関わっているということです。入門講座に紹介してくれた人、ともに励まし合いながら学ぶ人、そして洗礼を受けるまでの期間に折にふれて声を掛けてくれる人など・・・。 “聖霊に後押しされて  長崎 壮神父” の続きを読む

隠れた神 ーカトリック枚方教会 信徒 I.O- 河北朝祷会より(2016.5.12 第189回)

聖書百週間という聖書を読み、分かち合う場があります。その週の範囲を最初の一日か二日は知識として読み、その後、言葉を手で触るようにたどっていき、心に響くことを反芻し、温め、それが神様とのお喋り、祈りに、お願いの祈りが感謝の祈りに変わっていきます。毎週、黙想会をしているようなものです。

先日、教会の社会活動委員会で募集した大阪の教会の人達で福島のボランティアに行きました。5年を過ぎ、福島への関心は薄れているような中で、自分の五感で受け止めたいと思っていましたが、結果は恵みとなりました。

福島は復興の入り口に入ったかなという状態です。現地の風評被害の農家の支援、また仮設住宅での孤立死、自死を防ぐ活動なども、こちらではあまり知られていません。それでも被災者として社会に知られた人は、まだましかなと思います。悲しみや苦しみの比較はできません。しかし被災者、障碍者、ホームレスなど、その存在が知られている人達は、そういうものとして扱われます。 “隠れた神 ーカトリック枚方教会 信徒 I.O- 河北朝祷会より(2016.5.12 第189回)” の続きを読む